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2016年8月 2日 (火)

福島へ Vol. 3: 相馬野馬追 (3日目野馬懸)

国の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追は3日間かけて行われます。

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 須賀川から南相馬に移動した釜爺様とあかぴょん夫婦一行です。地元のコンビニに野馬追のポスターが貼ってあるのを早速見つけました。

1日目:宵祭り(総大将出陣式、総大将御迎、宵乗り競馬)、
2日目:本祭り(甲冑競馬と神旗争奪戦@雲雀ヶ原祭場地)、
3日目:野馬懸(裸馬を素手で捕まえて奉納@小高神社)

 一連の神事・祭事の中で、豪華な騎馬武者の行列や、勇猛な甲冑競馬・神旗争奪戦が見所ですが、私は次回の楽しみにとっておくことにして、釜爺様のお膝元、小高神社で行われる3日目の野馬懸を見に行くことにしました。
 そうは言ってもせっかく訪れたこの機会、釜爺様が2日目の会場となる雲雀ヶ原に寄って下さいました!
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 テレビやyoutubeで何度も見たあの場所です。感激~happy02。車を降りて歩き回ってしまいました。前日はさぞや賑わったことでしょう!ここを鎧を着た騎手が疾走していくんです。乗り手の方々は、この祭事のために日々の仕事をしながら、早朝に訓練したりするんですよね(ミーハーなあかぴょん)。
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 祭場への入り口。何百騎もの馬がここから真剣勝負の聖域に入っていきます。そして背中側を振り返ると、丘があり、てっぺんに大将がおわします。神旗を見事奪取した名手はこの曲がりくねった坂道(羊腸(ようちょう)の坂)を駆け上がって、大将に報告に行きます。花道ですね。
 この日の雲雀ヶ原の状況は、まさに「兵(つわもの)どもが夢のあと」。関係者が静かに後片付けをされていました。

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 こちらが釜爺様のお膝元、南相馬市小高区の「小高神社」!。神社という名ですが、小高城跡という石碑が建っています。なぜなら、260年間相馬氏の居城であったという歴史があります。別名「浮舟城(うきふねじょう)」!。周囲に掘が巡らされ、水に浮かぶ舟を形容した名前とのことです。釜爺様のオリジナルイワヒバ「浮舟城」の名前はここに由来しています。
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 神社ですから、鳥居や社があります。けれど、境内の敷地に馬場がある・・・。そしてこの日は月曜日だというのに結構な人だかり。なぜなら、この7月に小高区の避難指示がついに解除されました。震災以降、初めて小高神社で野馬懸が行われる晴れの日であったのです。テレビ局も結構来ていました。カメラクルーやインタビュアーがそこかしこに。野馬懸の復活、誠におめでとうございます。
 ところで、このお馬さん達。結構なスピードで走り回っています。白装束の男衆が逃げ道をふさぎ、追い込んでは逃げられてを繰り返しながら、最後はたてがみにしがみついて捕まえます。馬も人も汗びっしょり。
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 螺役(かいやく)という肩書きを持ち、法螺貝を吹いて行事の節目を司る方々です。先頭を歩く方は偶然ばったり出会うことがかなった釜爺様のご後輩の方!螺役の隊長を務めておられました。釜爺様、「タツヤ、えらくなったなー!」と激励!
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釜爺様が記念撮影して下さいましたsmile
 一つ一つの行事は実に厳かです。武士の魂をそこかしこに感じます。たとえば、騎馬武者の御行列。これは将軍様がお通りになることを意味します。行列の前を横切ることは御法度で、歩道橋や二階から眺めることも御法度です。知らないマスメディアの人が行列の正面からカメラを構えようものならお叱りを受けることでしょう。時代が時代なら打ち首!、ということかもしれません。また、女性の騎馬武者も見かけますが、20才未満限定という相撲の世界のような女性に厳しい決まりがあるそうです。
 そして、この祭事において唄われる「流れ山(ながれやま)」という民謡がありまして、これは相馬氏の遠祖がかつて下総国流山郷(千葉県流山市)に住んでいたことに因むものだそうです。お話することが出来たタツヤさんにふと「やはり皆さん流れ山を唄えるんですか?」という愚問をしてしまいました。タツヤさん曰く、「流れ山は、ここの”国歌”ですから。」と即答されました。

 くーーっ、隊長様になんて失礼な質問をしてしまったんだろう。すみませんでしたm(_ _)mその重要さを痛感するお言葉でした。頭を射抜かれた気分です。
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 こちらは帰りの風景。境内から鳥居方向を見下ろした景色。昔はきっと掘が巡り、水に囲まれていたのだと思われます。

 南相馬市では、釜爺様の旧宅にもうかがいました。ご案内頂き有難うございました。一方震災前のイワヒバ園を写真で見て知っていただけに、どうしてもやるせない気持ちが生じました。また、釜爺様のご近所を廻りながら、津波で壊れてそのまま放置された家も目に入りました。こんな場所まで津波がやって来るのか、水の力でここまで壊れるのかと、津波の恐ろしさを実感しました。
 さらに申し上げれば、帰りの常磐道に乗るまでの下道は、福島第一原発に近い道を経由して車を走らせました。そこでは5年間放置された町の姿を目の当たりにしました。空いた土地で何度も目にした物は、汚染土壌が入っていると思われる沢山の土嚢でした。
 空は青く綺麗に見えるのに、どこでも見ることが出来るのどかな野山の風景なのに、何でこんなことになったんだろうと思わずにいられませんでした。原発はやはり良くないです。失う物が大きすぎます。

 今回は、地震や津波が奪ったもの、原発が奪ったものについて、以前の自分より何倍も実感することが出来ました。3日間の旅でしたが、実に濃い3日間で、一生忘れられない経験になったと思います。
 出会った方々の忍耐強さや不屈の精神に気づき、そして温かいおもてなしの恩恵を受けたことに改めて感謝の気持ちがあふれます。釜爺様には多くの時間を割いて頂き、沢山のお気遣いを頂きました。深く御礼申し上げます。

 3回に渡って、福島の旅を書いてみました。感銘を受けたことも多く、長文・乱文で失礼しました。

 次回からはいよいよイワヒバの写真を紹介していきたいと思いますwink

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